たとえば3月10日午後7時隅田川の両岸(言問橋から永代橋あたりまで)に10万人の人々が集まり一斉にキャンドルを灯したとします。
きっと、10万本のキャンドルによって夜の闇に「光の川」を浮かび上がることでしょう。
その光は東京大空襲の犠牲となった10万余名の生命の炎であり、彼らに対する私たちの鎮魂と哀悼の想いであり、平和への祈りでもあります。

そして何よりも、東京大空襲の悲惨な記憶を風化させることなく未来に語り継ぎ、そして世界に伝える壮大なメッセージとなることでしょう。

2009年、まずはあなたの1灯からはじめませんか?
初めは数灯だけかもしれません。もしかしたら1灯だけかも知れません。
でも、いつかきっと鮮やかな光の大河となって世界中のメディアがその映像を東京大空襲の史実と共に報道することでしょう。

東京下町から世界に向けて平和を発信する・・・それこそがあの夜に命を奪われた人々の願いのような気がしてなりません。

 このホームページをご訪問いただき有難うございました。

 私は戦後間もなく新宿区戸塚で生を受けた団塊世代の一人です。

私の親戚や知人に東京大空襲による犠牲者・被災者がいなかったせいか、東京に育ちながらも50代になるまで東京大空襲についての知識は僅かしか持ち合わせておりませんでした。

ところが、ふとしたご縁で下町に行く機会が増えるようになってから、随所にある慰霊碑を目にしたり、お年寄りとの会話の中でその話題が出るなど少しずつ東京大空襲の悲惨さがわかってきました。
それからというもの、徐々に写真展などに足を運び、関連書物を読み、今では3月10日には欠かさず東京都慰霊堂にお参りするようになりました。
日頃、あまりものごとに執着しない私が、どうしてそこまでの想いにいたったのか自分でも不思議でなりません。

慰霊堂でお会いする方の多くは高齢者で、その数も年々減っているようです。
そう遠くない日に式典も簡略化され、悲惨な記憶もまた風化してしまうのではと危惧するご遺族の方の声も聞かれます。
もともと広島・長崎・沖縄に於ける大規模な追悼セレモニーに比べると東京大空襲のそれはあまりにもささやかな印象を受けます。テレビ中継もなければ、ニュースのトップで報道されることもありません。

こうした現状をふまえ、慰霊堂でのご供養とは別に、市民が主体なった祈りのイベントで犠牲者を追悼し、そして被災都市として世界に向けて平和への願いを発信できないものかと、ここ数年考えてきました。
風化させないということは多くの人が参加できるものであると言うこと、世界に発信するのであれば視覚に訴えるものであること、そして中立性を確保し永続性を持たせるために組織に頼らないこと・・・それらを勘案して私の頭の中で「光の川」計画が生まれました。

でも、どうやってそれを他人に伝えたらいいのか私にはわかりません。
ホームページを作って呼びかけることが精一杯です。
これまで平和運動や反戦運動などに関わったこともなく、支持政党もなく宗教団体とも無縁な私にとって初めての経験であり何もわかりません。
このホームページをご覧いただき、ご賛同いただいた方々に呼びかけていただくしかありません。
どうかよろしくお願いいたします。

あとどれだけ3月10日を迎えられるかはわかりませんが、私は命が尽きる最後の年までキャンドルを持って墨田の河畔に立ち祈り続けようと思っています。
あの夜、一瞬にして生命を、未来を、家族を、そしてすべてを焼き尽くされた東京大空襲の犠牲者の無念を胸に抱きながら・・・

                                    K 
 
お礼に代えて

光の川とは・・・
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